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いつもありがとうございます [日々のあれこれ]

おかげさまで、PVの総数が10000を超えました。
毎日40~50人ののべ訪問者数があり、
こんなブログでも、見に来てくれる人はいるんだなあ、と、感激しています。

逆に言うと、元気になりたい人がこれだけいるのか、と…
本当に、この世の中ストレスだらけですものね。
このブログで、少しでも元気を取り戻すお手伝いができたらいいなあ、と、
心から思います。

これからも、マイペースで更新していきたいと思います。

こんな話題を…などのリクエストも受け付けます。
気軽にコメントつけてくださいね。

これからも、みんなで元気になれるよう、
がんばっていきましょう!!!

言葉と表情 [病気とココロ]

現代社会において、会話の多くが文字を介してなされていますね。
そういうこのブログも、結局文字を介していて、
本当の私の気持ちが本当に伝わっているのだろうか、と、
不安になることがあります。

書いてある言葉、というのは、読む側の想像力で、
いくらでも解釈の仕様があると思います。
同じ言葉でも、受取手次第で解釈が異なると、
こちらが全く思ってもいなかったような受け取り方をされることがあります。
良い方に解釈されればいいのですが、悪い方に解釈されると、
そんなつもりで書いたのではないのに…ということになります。

言葉は、本来人間の口から発せられるもので、
そこには必ず表情が伴っていました。
その表情から、その人が怒っているか、喜んでいるか、
心配しているか、悲しんでいるか。
そういうことまで、判断がつきます。
また、顔の表情を見ながら話せば、
言葉の外に含まれている気持ちまで、
読み取れることがあります。
この方が、誤解は少なくてすむでしょうね。

言葉の表情って、すごく重要だと思います。
言葉の表情で、その人の考えがわかります。
その人の今日の状態もわかります。
私は、診察の時、できるだけ患者さんに身体ごと向けるようにしています。
そして、患者さんの一挙手一投足を観察します。
話し方、言葉を発するときの表情、言葉の表情も観察します。
そうすると、その人の問題点がわかってきます。

誠心誠意、その人に向かうなら、やっぱり目を見ながら話したいですね。
目にも、その人の感情がすごく表れていますから。

言葉は、表情をもってはじめて意味をなすのだと思います。
だからこそ、書き言葉は注意が必要です。
表情を表現できない分、さらにそれを読む人の気持ちを考えて、
ていねいに表現していかないといけないですね。

書き言葉があふれている現代社会だからこそ、
気をつけないといけないところでしょう。
書き言葉に傷ついて、病気になる人もいます。

私自身も、このようなブログを書いていることで、
人を傷つけないように気をつけていきたいと思います。

言葉 [病気とココロ]

以心伝心とか、 目は口ほどにものを言う、とか、
言葉でなくてもわかり合える、ということを表現することわざ、故事などが
いくつもあるのをご存じでしょう。
だからなのか、私たちはつい、相手が自分を見ていれば、
自分の状態、考えていることをわざわざ言葉で説明しなくても
わかってもらえるものと思ってしまいがちです。

言葉を使わずにわかり合えることも、たしかにあります。
言葉に出さなくても、何となく相手の考えていることがわかり、
自分のこともわかってもらえる関係って、とっても大切です。
ですが、必ずしもそういう関係ばかりではない。
むしろ、言葉にしないとわかってもらえないことの方が多いですね。

だから、言葉は大切なんです。
そして、大切にしなければいけないんです。
誰かにわかってもらえない、と嘆くのではなく、
言葉を尽くして、心から説明すれば、わかってもらえるかもしれません。
言葉は、人間の持つ、理解し合うための手段なのではないかと思います。

どんなに親しい人でも、言葉を介さないと本当に理解し合うことは
難しいと思います。
逆に、どんなにいがみ合っている人でも、言葉を尽くして話せば、
理解し合えるようになるかもしれません。

一方で、言葉は人を傷つけます。
言葉によっては、それが武器になります。
凶器になります。
だから、言葉は難しいんです。

言葉を癒やしのために使う場合、
言葉の種類だけでなく、口調も問題になります。
ゆっくりとした口調は、相手に安心をもたらし、
早口では、相手を焦らせます。

言葉は使いようです。
でも、言葉はないといけません。
言葉を上手に使えるように、していきたいものです。

あめふり [日々のあれこれ]

このところ、雨が続きますね。
さすが、梅雨入りしただけのことはある。
今年は早いですね。
ということは、梅雨明けも早いのかしら…
暑い夏が長いと思うと、ぞっとします。

昔から、雨降りは好きでした。
お日様が出ないのはいいことではありませんが、
外に出なくてすむ、と思うとうれしかった記憶があります。
雨が降ると、通学とか大変ではありましたが、
なんとなく、ほっとするのが雨降りの日でした。

元々あまり性質が陽ではないので、
そんなのも影響しているのでしょうね。
外遊びもずいぶんやりましたが、
家の中で遊ぶことが大好きでした。
今でも、アウトドアも好きですが、
基本的にはインドア派。
家の中でものを作ったり、本を読んだり、ピアノを弾いたり。
そんなことが大好き。
特に、1人で過ごせる時間はとても大切です。

休日は、家族がいるのでゆっくり、というわけにも行かないのが
悩みの種ですね。
だからといって、家族がいないのは寂しいと思うのですが。

わがままな私です。

皆さんは、どんな過ごし方がお好きですか?
自分がゆったりくつろげる瞬間は、
どんなときでしょう?
一度、考えてみてくださいね。

愛にかこまれて [病気とココロ]

うつ病の人は、実はとっても寂しがりやさんが多いです。
いつも、他人のぬくもりを求めているのに、
人にどう思われているか、心配になってしまうため、
なかなか人に近づくことができない。
だから、愛を、人一倍敏感に感じるのです。

でも、時には、その愛を求める余り、不安になってさらに病気が悪化する。
愛を失うことを極端に恐れて、過剰に努力をしてしまうことで、
うつ病の悪化を招く。
自分のことが信用できないから、人のことも信用できなくて、
人が信用できないから、人の愛も信用できない。
だから、ちょっと自分がその人に不利益になるようなことをしただけで
その人に嫌われてしまうと思っている。
だから、愛してほしい人の前では、やり過ぎるほどその人のために尽くす。

愛すること、愛されることは、決して難しいことではありません。
自分のことを好きであれば、人を好きになることは簡単です。
自分が好きになれないと、人を本当に愛することはできないと思っています。

自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。

これは、イエス・キリストの言葉です。
この言葉の根底には、当然誰でも自分のことを愛している、
という考えが流れています。

自分を愛することで、自信がついてきます。
自分を愛することで、人をも愛することができます。
自分を愛することで、他人も愛することができます。
自分を愛することで、他人の愛も信じることができます。

愛されたい、愛されていることを感じたいのであれば、
自分のことをたくさん愛してあげることです。
そして、人も愛しましょう。
人を愛することで、その人から愛されるのです。

いつも、愛は私たちの周りを取り囲んでいます。
その愛を感じて、愛を信じて生きていきたいものです。

出会い [日々のあれこれ]

人が人と出会うのは、偶然以外何物でも無い、と思います。
確かに、誰かに紹介されて、というケースもありますが、
それにしても、紹介してくれる人との出会いは、やっぱり偶然でしかない。
どんな出会いにも何かしらの意味はあり、
意味の無い出会いはない。
どんな出会いであっても、人と人が出会うことで、ひとつの関係が生まれる。

これまでの人生の中で、これほど充実した出会いを体験したことはありません。
今の職場には、いろいろとつらいことも多いのですが、
本当に大切な出会いを、ここではたくさん経験していると思います。
大切な出会いは、大切な人間関係を作りました。
大切な人たちと、大切な関係を育てながら仕事ができるのは、本当に幸せなことです。

そして、この関係から、またさらに広がった関係。
大事な関係だから、本当に大切にしたい。
私の大切な宝物です。


人間同士の出会いって、本当に不思議だと思います。
良い出会いをすると、その関係は長く続きます。
これは、医師-患者関係でも、夫婦関係でも同じことがいえるでしょう。
信頼関係がしっかり整った関係であれば、簡単には人間関係は壊れません。
心からの言葉が、心に伝わってくれます。
逆に、信頼関係が無ければ、言葉は虚しくなります。
お互いがお互いを信頼していれば、
心と心がつながっていれば、
少々相手にとってきつい言葉でも、受け入れてくれます。
信頼関係がしっかりしていれば、けんかしたっていいんです。

けんかをするほど仲がいい、といいますよね。
仲が良くなければ、けんかもできません。
けんかができる、ということは、相手に思い切り自分をぶつけることができる、
ということです。
けんかを勧めるわけではありませんが、
けんかもできない関係は、決して良い関係とはいえません。


今日は、うれしいことがいくつか。
その中で、ほっとしたことは、
火曜日24日に診察した患者さんが、少し元気になってきたこと。
まだまだ先は長そうですが、
少し、光が射してきたかな。
来週が楽しみです。

皆さんのコメントをお待ちしております。
本当に微力ですが、私でお役に立てることがあれば、
コメントくださいね。
聞いてみたいこと、ブログのお題のリクエストでもOKです。

自殺 [病気とココロ]

このところ、ニュースになるような人の自殺が多いですね。
どうしてそんなに自分のことがいやになってしまったのか、
そうなる前に、相談する相手はいなかったのか。
もし、そうなる前に助けの手がさしのべられたら、結果は変わっていたのでしょうね。

先日、長年通院している患者さんのお話をしました。
その同じ日に診察した別の患者さんで、非常に具合が安定しているので、
薬の調整に入った方がいらっしゃいます。
彼女は、心臓がどきどきする、めまいがする、耳が聞こえにくく、耳鳴りがある、などの
症状を訴えていたのですが、適切な薬を飲み、適切なセルフケアで良くなり、
さらに2週間に1度の診察で、色々なことを話していくことで現在はストレス発散。
とても良くなって、本当に喜んでいる方です。

その患者さんが、
「自殺する前に、何で病院に行かないのかしら。」
といわれました。
その方は、自分が病院に行って、良くなったことがうれしくて、
「つらいんだったら、とりあえず病院に行くのがいいと思うんだけど。
治療してなかったのかしら。治療したら良くなるのに。」
と、言われていました。

確かにそうなんです。
つらいなら、とりあえず相談してみなさい。
自分に合う先生を探しなさい。
治療を受けてみなさい。

そうやって、現在は自治体の方でも呼びかけてくれていますが、
それでも入りにくいのが、精神科の病院。
「そんなところに通っているのは、きちがいに違いない。」
というレッテルを、下手すると貼られてしまいます。
だから、日本人は、精神疾患を隠したがり、
精神疾患の治療を受けていることを決してオープンにはしません。

このような社会的風潮が、自殺の食い止めを阻んでいます。
そして、うまく治癒しないのも、これらの社会的風潮のためかと思います。

そこで登場するのが、心療内科。
本来であれば、『精神科』で診るべき疾患も、
みんな心療内科に…
内容はどうであれ、精神科に行くよりも、
心療内科の方が外聞がいい。
実のところ、現在の日本の心療内科の多くは精神科の医師によるものなので、
厳密には心療内科ではないと思いますが。
しかも、心療内科も一般的になってきたので、
みんながどんな科だかわかるようになってきて。
ますます通院しにくくなっています。

うちのクリニックは、基本的に内科がメインなので、
心療内科とは言っても、通院しやすいようです。
かくいう私も内科の医師なので、
精神科の医師とは治療方針等が少し異なるかもしれません。
それでも、通院してくださる方が元気になった、
とっても楽になった、といってくださるので、
間違ったことはしていない、という自信がもてます。

自殺は、その人にとってはそこですべてが終わってしまいます。
しかし、周りの人にとっては何も終わらない。
自殺をすれば、その人にとっては見かけ上終わりが来て、楽になるかもしれない。
でも、本当にそうなのか。
非常に疑問が残ります。

気分的にすごく落ち込んでいるのなら、信頼の置ける人に、
病院でもいいと思います。
是非とも相談してみてください。
1人で悩まないで。
話すだけでも楽になります。

この世に生を受けてきた以上、生きていく責任があると思います。
よりよい生を生きていただきたい、そう願ってやみません。
そのための、ちょっとしたお手伝いができれば、幸せです。


このブログを読んでくださっている方の中には、
いつも悩みを抱えていらっしゃる方がきっと大勢いらっしゃるのでしょうね。
ぜひ、コメントください。
微力ながら、お力になれれば、と思います。

トンネルを抜けると… [日々のあれこれ]

そこは雪国だった、 ではないんです。
今の私。
真っ暗なトンネルにいる気がする。
光を探して、あがいている私。
酸素を探して、もがいている私。
とにかく、調子は良くない。

まあ、でも、そんなことがあってもいいかな…
すこし、気楽にならなきゃ。

人を信じる、自分を信じる [病気とココロ]

長年通院している患者さんが、
楽になろうとして、睡眠薬を10錠飲んでしまった、と告白しました。
死のうと思ったわけではなく、
ただ、眠れないからといって、薬を追加していたら、
10錠になってしまった、といわれました。

どうしてそんなことになったのか、訳を聞くと、
今まで一度も欠かしたことのなかった、義母さんの通院に、
今回初めて、起き上がれなくて行かれなかった、ということで、
罪悪感を感じていた、というのです。

義母さんのお世話をしないと、夫に怒られる、
夫に見捨てられる。
子供がいなくても、義母さんのお世話をしていれば、
夫に見捨てられずにすむ、と考えていたようです。

子供が作れなかった罪悪感と、夫や夫の家族から見捨てられたらどうしよう、という
間違った恐怖感で、いつも緊張していた彼女。
義母さんが入院すれば、毎日病院通いをして、
実の娘よりもまめまめしくお世話をしていたのに、
それでも足りない気がして、見捨てられるのではないか、と
いつも不安に思っていたようです。
夫の家族の中で、自分だけがよそ者で、血がつながっていないから、
自分は受け入れられていないような気がしていたそうです。

彼女の周りには、いいお友達がいるのに、
彼女は、自分が消えて無くなりたい、と言う思いに駆られていて、
先週、自殺を考えるような発言をしていました。
今回までの宿題で、1日1回自分のことを褒めてきなさい、というと、
その話をお友達にしたら、そのお友達が代わりに褒めてくれたそうです。

意味ないじゃない!!!!!
と、怒ってしまいました。

また、薬を余計に飲んでしまったときも、
神戸にいるお友達(看護師さんだそうです。)にメールして、
慰めてもらったそうです。
彼女は、飲んでしまった薬(睡眠薬)の残りを持ってきました。
そして、預かってくれ、といわれました。
持っていると、また飲んでしまうかもしれないから、と。

今日、彼女と話をしていて、
今まで、自分は何をしてきたんだろう、と、反省。
まず、彼女に、どうして彼女自身が大事なのかを気づかせなかったところが
失敗のひとつ。
そして、自分を大事にすることは、人をも大事にするんだ、ということを
はっきり伝えなかった(何回かお話ししたと思うのですが)こと、
自分の周りにいる人たちをもっと信じなさい、ということ。
これをもっと強調するべきだったかな。

また、自分を信じて、自分の足で立つ、ということ。

伝え不足だったのかな、と、ちょっと悲しくなりました。

今回は大事には至りませんでした。
でも、一歩間違えたら、大変なことになっていました。

自分を大事にする、ということは、
何回もお伝えしています。
その自分は、どこから来たのでしょう?
自然に発生してきたものではないですね。
身体は両親からいただいたものです。
自分を大事にする、ということは、両親を大事にすることにつながります。
それは、他の人を大事にすることにつながるんです。

今回、気になったのは、見捨てられるのではないか、という不安。
それは、根本的に他人を信用していない証拠。
もっと、よく自分の周りを見てほしかった。
ことあるごとに、家族の集まりをしたとき、自分が受け入れられていなかったかどうか、
もっと考えてほしかった。
もっと、家族を信用してほしかった。

信じる、ということは、常に双方向へ作用します。
自分が人を信じれば、人も信じてくれます。
自分を信じれば、人のことも信じることができる。

みんながみんなを信じ、みんなが自分自身を信じることができれば、
きっととても平和な世の中になるのではないか、と思います。
きっと、ストレスも軽くなるでしょう。

自信を持ち、人を信用できる、そんな人格形成をめざしていきたい、
そう思う一日でした。


私の元気 [セルフケア]

今夜は、布草履を一足、作っていたら、
気がついたらこんな時間。
夢中になっていると、時間が経つのも忘れます。

私の元気の元は、音楽、手芸、読書、ゲーム。
どれも、時間と気力がないとなかなかできません。
ただ、気力がないからといって何もしないと、
もっと気力が落ちてしまうのも事実。
だから、気力が落ちているときには、簡単にできるものを用意します。

今日手掛けた布草履は、古い赤ちゃん用の布団カバーのリメイク。
丁度、じぶんのスリッパが健康スリッパしかなく、夕方疲れてくると、
猛烈に足裏が痛くなるので、欲しかったもの。
大変簡単にできる方法をゲットしたので、
一足が1時間程度で出来上がりました。

この位の作業量なら、元気のない私にもできるし、
これをする事で自分が元気になれる。

自分が落ち込んでいるとき、なりたい自分を思い描きながら、
何か作業に打ち込めると、
少し元気になる。
そんな何かを一つ持っていると、
きぶんは楽になりますね。

この様な趣味を、
これからも最低一つは持っておきたいものです。

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